井戸の底の遠い音

パレスチナ支持、国際情勢批判、国家批判、社会批判、人道主義・ヒューマニズム支持、私の思考

ともかく、ここから立つ。できる範囲で立つ、自分の足の上に。

 

ともかく、ここから立つ。できる範囲で立つ、自分の足の上に。

 

 

100かゼロか、という考えをするのはやめて、

(いや、それすら、私はしていなかったのだ、考えることも、まともには、しなかった、)

 

100のうちの2や3でもいいから、

(何が100かは、そうだな、私が、勤労時間、通勤、職場での労働、生活営為、に割く体力、気力、知力がありますよね。これらは必須でどうにも動かせないものです。で、これらを私から全て引き抜いて、残ったエネルギー、力(ちから)、を、全てパレスチナへの支持と連帯、イスラエルへの抗議、のために注いだ場合を100とする。)

 

そう100のうちの2とか3でもいいから、

立とう。

(いや、立つといっても、街頭に行くのはちょっとハードルが高くて……。我ながら恥ずかしいのだけど……。

立つというのは、ここで私が言っているのは、まず情報を追っていく、それも、なるべく西側べったりではないニュースメディアを見る、というぐらいのことから、です。)

 

ほんのちょっとでいいから、立とう。

(本当は「ちょっと」ではまったく駄目なのは分かっている。)

 

あと、「ことさら言うなよ」って感じでもありますが、

わたしUNRWAカンパは一定額、やっています。

(というのか、UNRWAカンパは、数年前から、ずっと、毎月まとまった額、続けてきています。2023年10月以来は私なりにということだけど、更にギアを上げて、行い続けてきていますし、UNRWAを、UNRWAの人々を、私はリスペクトしています。)

 

このUNRWAカンパは、まあ、石にかじりついてでも続けます。

 

けど、カンパ、そう、カンパは役立つ。

でも、カンパには、当然と言えば当然かも知れないが、人が殺されるのを止めることへの、「一定の即時的」・実効的な力は、ないのだ。

だから、当たり前なのだけど、<私、カンパはしているし>で安住するのは、論外です。

そこは分かっている……。

 

 

2024/03/10