井戸の底の遠い音

パレスチナ支持、国際情勢批判、国家批判、社会批判、人道主義・ヒューマニズム支持、私の思考

太宰治が志賀直哉を何故あんなに憎悪をこめて罵倒したか

 

太宰治志賀直哉を何故あんなに憎悪をこめて罵倒したか

 

を…

 

ときどき最近考えている。

 

戦前・戦時中の、

翼賛体制のもとの時代、

特高治安維持法、が跋扈していた時代、

そして人々・民衆の精神の内面にも、翼賛体制が内面化されていた時代、

の文化人、作家の

悲しさ、みじめさ、おぞましさ、

というものが、あの憎悪の現象の中に、ある気がするのである。

 

ふわっと考えたってばかりの、

私の考えで書いてしまうのだが、

 

志賀直哉が、

翼賛体制下の時代。特高治安維持法・全国民的に翼賛性とファシズムが内面化されていた時代。

にあって、

文化人の悲しさ、みじめさ、に無縁でいたということはない。

彼だって、

戦時中の日本という国家権力(国家暴力)に、屈従させられ、服従させられた状態。

みじめな状態、おぞましい状態で生存していた、せざるを得なかった。

そういう作家、の一人、で、あったのだ。

(というか、あの醜い時代には、すべての文化人が、そうであったのだ。

当時、老年のため、あるいは疾病のため等で引退・隠居などの状態であった文化人以外に、ひとりの例外もない。

この「ひとりの例外も無さ」は戦時中・翼賛体制時代の日本は本当に徹底している。)

 

でも太宰は、

志賀直哉が、<太宰ほどには、戦時中、屈従して、みじめでは、いなかった>ことが、

許せなかったのだと思う。

戦後期に。

 

ふわっとした書き方で済まないが、

 

太宰の性格・人格にある、

人間の弱さ、悲しさ、

 

そして、それが、特に、あの昭和20年まで、の、

戦時下の翼賛体制ムードの時代…。

特高治安維持法が跋扈していて、「国民」の精神にも体制への服従・適応が内面化されていた時代…、

に、

太宰治が、

文化人・作家であってしまったこととで、

悲しい相乗効果を起こしてしまっていたこと、

 

そのことの、悲しさ、哀れさ、

 

……が、

 

太宰の、志賀への罵倒に、現れている、

そんな気がするのである。

 

 

要は、(繰り返しになってしまうが、)

 

太宰は、言ってしまうと、戦時中、みじめな…、権力に対し、哀れな姿を取っていた。(文化人だれしもがそうではあったのだが。)

 

志賀だって、権力、翼賛体制に対し、そうでなかったわけでは、ない。

 

けれど、志賀が、太宰ほどには、「みじめで権力に対し哀れな姿でなかった」ことで、

太宰は志賀を憎んだ……。

 

そんな風に思う次第だ…、私。

(繰り返しになってしまったが。)

 

 

じゃあ……、

(と、さらに考えてみる、)

 

たとえば……、

 

治安維持法下の、翼賛体制下の、戦時体制下の、

国家総動員法下の、

あの時代に「知識人、文化人、作家、演劇人、他、etc.」ではなかった人は、

 

幸運で、勝ちだったのか?

 

つまり、

あの戦時体制時代より前の時代に生きた文化人。

あるいは、あの戦時体制時代より後の時代に成人した文化人。

 

は、

運に恵まれていて、勝ち組だったのか?

 

まあ、そういうことでもないのではないか。

 

戦前に活動期を迎えていようと(戦時中は隠居状態)、

戦後に成人して活動期を迎えようと、

別に、文化人も、非文化人も、

国家権力に服従する、あるいは資本主義に服従するという、

屈辱から、

まぬがれては、ない。

 

ない。

 

ただ、

それはそうだけれども、

やはり、

あの昭和初期時代(戦時下)に生きて活動期であった文化人の置かれた状況のおぞましさ、は、

知れば知るほど異様ではある……。

 

そうではないだろうか?