井戸の底の遠い音

パレスチナ支持、国際情勢批判、国家批判、社会批判、人道主義・ヒューマニズム支持、私の思考

生きるっていうのは、衣食住だけじゃない

 

 

また、私、ガザ情勢(西岸情勢)について私は「脱・状況化」になってしまっていた。

 

申し訳ないことだ……。

 

デモに行くのが一番だ(いつも同じことを書いて恐縮だが)。

そう街頭に立つことが、だ

 

でも私には無理。(体力、精神力、気力)

 

そこは、もう、行ける時は行こうということで、それ以上は拘泥しない。

 

じゃあ、どうする?

 

じゃあ、これをする。という、これぞという物は、思いつかぬ。

 

しかし、私は、私の生活の中で割ける分だけになるけれども、

それでも、私に出来ることをパレスチナ支持、パレスチナ支援のために、する。

するし、それを続ける。これから先、長い間をだ。

 

 

ところで話が少し変わりますが、

パレスチナの人が生きるとは、

もちろん、基本的な面が最も大事ですよね。

 

基本的な面……、

安全(殺されない、暴力を振るわれない)、住むところ、清潔な水、

食べ物が安定して手に入る、眠る場所、睡眠をとれる、

トイレ、お風呂、プライバシー、etc.

あ、もちろん、家族と一緒に安全に過ごせることだ、穏やかに、幸せに。

 

 

ただ、生きるって、それだけではないですよね。

 

私は思うんです。

パレスチナの人々は、どんなにか、

勉強したり、学問したり、研究したり、ビジネスを営んだり、

勤労したり、現場で働いたり、スポーツに打ち込んだり、

読書に没頭したり、クリエイティブなことをしたり、趣味を深めて楽しんだり、

したいだろう。

静かで安全で落ち着いた場所で、どんなにか、勉強を、学問を、ビジネスを、勤労を、趣味を、文化活動、クリエイティブな活動を、あるいは集中してスポーツを、したいだろう?

 

それを全部イスラエルが、そしてアメリカ、西側諸国、それから、それら全部の足の裏を舐めてる日本が、奪ったわけです、奪い続けてきてる。

 

何が言いたいかというと

緊急支援のことが最も肝要、プライオリティが最も高いですよね。

 

が、それ以外にも、パレスチナの人々から、

能力を生かして十全に生きること、勉強に注力すること、勤労・労働・ビジネスに励むこと、趣味やスポーツに集中し、深めて楽しむこと、

そういうこと全てを奪ったんだという意識も、脇にのけておいては、ならない、私は。

そう思う次第です。

 

あと、そう、日本人は加害側に立ってるんだってことも、念頭にとどめておかないといけない、私は。