井戸の底の遠い音

パレスチナ支持、国際情勢批判、国家批判、社会批判、人道主義・ヒューマニズム支持、私の思考

なんかもう

 

 

パレスチナ情勢において、

 

私は、

 

パレスチナの人々、彼らの置かれた非人道的状況について怒りの声をあげている世界中の人々、

 

に対する、リスペクト、尊敬、共感、連帯、哀惜、ともかく、そういう感情があります。

 

けれども、

 

「ともすると」、

 

パレスチナの人々が殺されることを喜んでいる奴ら、

 

パレスチナの人々が虐殺され、あるいは、家族をむごたらしく奪われ、重度の火傷を負わされ、手足を吹き飛ばされ、医療をしてくれる人も医療の機会をも奪われ、水に飢え渇き、食べ物もなく、そうやって毎日くるしめられていることを、手を叩いて喜んでいる奴らへの、

 

憎悪、

 

が、一番、強くなりがちです……、私の中で……。

 

 

だから、今はツイッターを控え目にしておこうとも思ってます。

 

何でもかんでも書きそうなので。……

 

 

 

しかしです、上の「だから」とは何ですかね?

 

「憎悪だから、憎悪であるゆえに、ツイッターでの発信は忌むべきだ」と、するりと安易に絶対的に言えるのだろうか、そう言い切っていいのだろうか、一体?

 

そこは、議論の余地が有るところではありますよね。

 

しかし、憎悪を発信するにあたっては、発信する者(つまり私自身)が、それに耐えるだけの、背骨の強さみたいなものを持ってないといけないであろう……、少なくとも。

 

今の私は、感情に動かされているだけであり、そうした強さまでは持ってないんです。

(私は憎しみを持ちやすいが、同時に、単純に気弱であることも含めて、弱い人間なのです。そこは私は自覚していないといけないのだ。)

 

だから、と言いますか、

繰り返しとなってしまいますが、

私は今はツイッターを控え目にしておこうと思う。……