井戸の底の遠い音

パレスチナ支持、国際情勢批判、国家批判、社会批判、人道主義・ヒューマニズム支持、私の思考

まさか

 

 

まさか、

 

「ジェノサイドはいけない。なのでジェノサイドはやめて」

 

などと

 

人々が言わなければいけない事態が起こるとは、

 

思っていなかった。

 

 

 

もちろん、

 

今までにだって、ありました。世界の各地で。

 

 

 

でも21世紀になって、

 

こんなマッサクル(大虐殺)、ジェノサイド(民族虐殺)、を眼前にすることになるとは思わなかった……

 

 

 

私はまだ、その驚愕から、立ち直れていない。

 

そういう人は、他にも多いのではないだろうか。

 

 

 

でも、パレスチナの人々の恐怖、苦しみ、絶望、怒り、ショックは、もっと、であろう。

 

 

 

ここには、こんな風に、こんなことを書いてしまっているが、

根本的に考えると、

 

私などには、驚いている、などと言う権利、資格なんぞない。…………

 

 

 

いいご身分だ……、私は。

 

 

 

怒りは憎しみよりも高位にある

 

怒りは憎しみよりも高位にある

 

という旨のフレーズを三木清先生は書いている(人生論ノート)

 

確かにそうだなと思うことがある

 

私はどうしても憎しみ、嫌悪、侮蔑、の方に行きやすい

 

これは私の、良くない意味合いでの、癖ではあると自覚してる

 

ただ、憎しみ、嫌悪、侮蔑に値する人間たちがこの世界にいることも事実ではある……

 

なので私が憎悪、嫌悪、侮蔑に行きやすいことを私は反省はするけれども、その全てを否定することは、しない

 

水の施設がまたイスラエルに爆破された

 

 

water stationが爆破されたとのこと。(ソース:al jazeera)

 

ただでさえ、水が、もう枯渇しているのに……。

 

どれだけガザの人々は焦燥感、恐怖、不安、水への渇き、に苦しんでいることだろうと思います。

 

もちろんシャワーを浴びるも何もあったものではないでしょう。

 

話はズレますがトイレ等の衛生・プライバシーも、とても、持てる環境ではないでしょう。

 

女性たちは月経を遅らせるピルを飲んでいるとのこと。

 

病院では妊婦さんが麻酔なしで帝王切開手術を受け、出血での死亡防止のために若いかたであっても子宮を摘出されるとのこと。

 

土曜の朝?から今日で数百人単位がイスラエル空爆(と地上侵攻?)で殺されており、幼い子供が特に多く、殺されています。

 

 

 

この状況を外界から見ていて、特に疑問を持たないやつらは……、恥というものを知って欲しい。

 

無知自体は、そこまで、恥ずかしいことではない。……

 

なんとなれば、しっかりとそこを人々に知らせるようにしない、国、権力層、知的エリート層、行政エリート層が悪いのだから。

 

もし、(例えば数十年に渡って続くイスラエルパレスチナに対する構造的暴力を)しっかりと知らされれば、人々は、正しく判断できるのだから。

 

(これはチョムスキー氏の考え方だが、私はこの考え方が好きだ。)

 

 

そう、そうなのだけれど、(これをわざわざ読んでくれている人の中には居ないと思うが、)人間としての恥の感覚…を、知らないこと、は、恥ずかしいことだ。……

 

変な日本語だが。……

 

 

 

ゼレンスキーはもっと早く「疲れ、西側に失望」すべきだった

 

NATO加盟国という鬼どもが

湯水のようにカネ、殺傷武器を注ぎ込み、

ロシアを攻撃させる……、

長い、長い期間、

ウクライナ国が、そんなことのメディア(中間媒体)なんぞに、され続ける前に、

それでウクライナ、ロシア双方にこれだけの死者が出る前に、

 

もっと早くに、彼は疲れるべきだった。

 

 

「恥を知れ」

 

 

おそらくガザの、おそらく、元・学校?…

ともかく現在は、相当の多数のパレスチナ市民たちの避難所となっている場所…を映した動画を昨日見ました。

 

 

**

 

 

校庭?ともかく広い庭には、

物資(特に水、食料をだと思います)を求めてやってきた、

大人、子供であふれ…、

しかし、皆、もちろん、この状況の中、整然として物資支給を受けられるという様子では全然なく、

目的を得られず、混乱の感情のまま、そこいらを大勢の人が歩き回っているといった印象でした。

 

 

**

 

 

その中で、大柄な一人の中年男性が、向けたカメラ(その動画を撮ってるカメラ)に向かい、

苦痛、苦しみ、やりきれなさ、が混ざった怒りの表情で、

「水もない。食料もない。恥を知れ(Shame on you)!」と言っていました。

 

(英語の字幕のついた動画として私はこの動画を見たんだと思います、多分)

 

 

 

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この「恥を知れ(shame on you)!」は

イスラエルに向けられたものだろうし、西側諸国に向けられたものだろうし、その手下になっている日本に向けられたものだろうし、

いや、それらは推測に過ぎませんが、おそらくそうだろう

 

 

そうであり、

 

また、

私は、

この大柄な中年男性がカメラに向かって強い口調で言った、

苦しみとやりきれなさと怒りを滲ませた「恥を知れ(shame on you)!」は、

わたし自身に向けられたのだろうと思います。

 

むろん、彼が、私を知っているはずはない。

でも私自身に向けられたのだと思います。

 

そして、ではそれを受けて私としてはどうなのだ?というと、

「そう言われる通りでしかない」、である。

 

 

私は恥を知ります。

 

私は私自身を恥じます。

 

日本に居て、イスラエルに骨の髄まで骨がらみにされているアメリカの事実上の支配下にある日本に居て、

つまりイスラエル - アメリカ軸の、西側軸の経済の安定性の恩恵を受けて、

何の不自由もなく暮らしている私自身、

つまりは、パレスチナの人々を大虐殺する国( = イスラエル)を肯定することでみずからの100パーセントの保身のみを考えている日本、

そのもとで安穏と生きている私自身、を、恥じます。

 

 

Yes, I agree to you, I'm ashamed of myself !!

 

 

 

イスラエル擁護論批判 読んだ方がいいのか?

 

恥ずかしい話ですが、買ったまま「積ん読」してあります。

ミアシャイマー氏の本も。(イスラエル・ロビーについての)

 

チョムスキー氏の本は、多分「積ん読」はしていないように思う。……

が、どうだっただろうか。

というかそもそも買ってない書籍があるので、買わないとなのだが。

哲学は机上だけの古びた学問か

いきなり自己紹介もなしで恐縮です。

 

 

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「哲学は机上だけ、学問の府だけで取り沙汰される、

実地には役立たない、古びた学問である」か?

 

 

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もとから私はそうは思っていなかったのだけど、

最近、とみに「そうではない」と思うようになった。

 

 

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イスラエルによる、ガザ爆撃を通じての、パレスチナのひとびとの大量虐殺。……

 

10月初旬から始まった(と思う)、この、目の前でリアルタイムで行われていく、パレスチナの市民に対するジェノサイド(民族浄化、民族大虐殺)。

 

そんな中で…

 

そんな中で… などと知った風に言うのも、パレスチナの人々のいる非人間的な生存状況、いつ空爆、地上侵攻で殺されるか分からない状況との、あまりの非対称性がありありとしすぎて、私自身が恥ずかしくはあるのですが、

 

でも、そんな中で…、

 

うまく言えないのだけど、哲学書(特に古典的な哲学書)は、

何かを、何かの流れを、流し込んでくれる気がするのだ、私の精神に。

 

活力とも、なんとも形容をはっきり出来ない何かをだけど。

 

それは他の学問でも出来るか?

できるのかも知れない。

 

しかし今の私にとっては、哲学が、(ひろく言うと思想が、)

この、リアルタイムでイスラエルによる大虐殺が、世界の眼前で行われているこの状況で、

私にとって、何か、下から支える力の流れになってくれたと思うんだよね。

 

 

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本当の哲学は机上だけの古びた、役立たない、誇りを被った<学問>なんかではない。

本当の哲学は、生きた力を持っている。

どの学問もそうだろう。

私にとっては、特に哲学が、そうだ。

 

(学生時代は、哲学徒ではなかったのですが。)

 

 

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