井戸の底の遠い音

パレスチナ支持、国際情勢批判、国家批判、社会批判、人道主義・ヒューマニズム支持、私の思考

何もしていないし、脱状況化ぎみになっている

 

 

 

何もしていないし、脱状況化…的になってる。

 

アルジャジーラも見ていない……。

 

それもしばらくの間見てない。

(他メディアはそもそも、ほぼ見てない。)

 

ツイッターもログインしていなかった…

したとしてもすぐログアウト。

 

しかしさ、

こういう、

今の私の思い方。

つまり、100かゼロか、と思ってしまう傾向っていうのは、

それは違うのではないか?

 

パレスチナのために

できる限りの行動、努力、作業(知的作業含め)、発信、調査、

している方々がいる。(尊敬している。)

 

私はなんもしてない(UNRWAカンパのみ)。

 

かといって、ゼロに、私がしてることなんてゼロだっていう風に、私が、そう固執するのも変ではないか?

 

とは言え、

じゃあ道に立つか?(= 抗議スタンディング)というと、体力的に無理……。

(体調の点が大きい。)

 

でもさ、

スタンディングが出来ないからって、

何も出来ない、と自分を枠に押し込める的なのも違うのではないか?

 

私は友人が極度に少ないもので、

で、職場でも、政治的なことにまで心を開いた会話は不可能なので、

「語り合う」こともなかなか出来ないのだよな。

(勇気がないのもある。)

 

だからって…、

何もできない、と(私自身を)措定するのも違うよなあ……。

 

知るだけでも意味はある、…のだ。

 

そう…。

「知って」、「パレスチナ支持」の思想を持つ私として、

そのありのまま、

実社会(というのは……、まあ言うなれば…、毎日仕事をする職場だとか…。というかそれ以外の社会的つながりが私あんまりない)、

に、

淡々と、

フラットに、

ありのまま、

私が、存在すること。

 

それだってプロテスト、抗議、主張、になりえるのだ。

それも、「意味のあるプロテスト、抗議」に、なりえるのだ。

アメリカ、イスラエル、イギリス、日本、の権力層、権力を支持する層らに対して。

 

でも淡々と存在するったって……、

息をしていればいいってのとも違って……、

 

そう、職場で話すの無理……。

別に職場の人を侮蔑しているわけではないんだよ。

でもわたし派遣社員だし、なんか無理なんだよ……。

なんかもうイスラエルへの怒りが大きすぎて、

職場の空気(??)の中で、話題を出すのも無理だし、

政治的、国際状況的、そういった価値観的、な話は…、

職場では切り出すのが難しい…んだよ…。

(別に、職場の風潮のせいってのでもない。私が派遣社員だから、がわりと大きくはある、かも。)

 

そう、正規従業員ならば、少しは違ったかも知れんな。

正規従業員同士での雑談ベースの会話とかなら、話せたのかも知れんな。

いや、派遣であっても、そこを乗り越えれる人もいるだろう。

私はそもそも雑談苦手キャラだしで、無理なのだ……。

 

でもまあ、

そういうことかもね。

普段から私みたいにコミュニケーションを軽視していると、

こういう時に、

ひとと語り合うライン(線)ってのが異常に貧しくなってしまうことになるんだなっ、てことは実感したわ、なんか。

 

もっと人とのちょっとした繋がりを大事にしていこうと思ったわ。

 

そうでないと、

結局、

パレスチナ支持…、いや支持か否かは置いといてもいい…、

イスラエルパレスチナに対して行っている非道、非人道的行為、殺戮行為、ジェノサイド。

その問題をひとと語り合うことを…した方がいいと思うのだけど…、

そのイメージが、もう、湧かないし、

そう出来そうな、つながり・ライン・線が、無いんだもん。

 

ツイッターはありがたい。

そういうことを語っている、語り合える、人達が大勢居るから。

 

 

何が言いたいかって…

ともかく…

私が出来ることとしては……、

アルジャジーラは読もう……、

サーッでいい。

(つらくて読めなくてね…。読むのをやめていました……。)

最初はサーッからでいいから読もう……。

 

しかしさ、

トイレも、家も、衛生用品も、暖房も、食べ物も、飲み水も、下水道も、衣服も、寝る場所も、欠乏してるパレスチナの人々。

しかも身体に重傷を負わされている人、家族がそうなった人、家族をむごく殺された人、ら、もが大勢いる。

そんなパレスチナの人々に、

とって、

見たら……、

 

日本人の私が、

アルジャジーラを読むぐらい、何が「つらい」のだ???

ですよね。

 

同感です。

仮にそう言われるなら(ってか実際にパレスチナのかたがたにそう言われたわけじゃないので、私の仮想だが)、

その通りでしか、ないわ……。

 

でも読まないよりは、サーッとでも読むよ。

アルジャジーラ

 

 

 

悪意にドライブされたジェノサイド

 

悪意にドライブされたジェノサイド(イスラエルによる、パレスチナへの)。

 

じゃあ善意にドライブされたジェノサイドなんてあるのか?

そんなものないだろう。

 

そうだとしても、

イスラエルによるパレスチナに対するジェノサイドは、

悪意の汁に満ち過ぎている。

 

2024/1/3

生きるっていうのは、衣食住だけじゃない

 

 

また、私、ガザ情勢(西岸情勢)について私は「脱・状況化」になってしまっていた。

 

申し訳ないことだ……。

 

デモに行くのが一番だ(いつも同じことを書いて恐縮だが)。

そう街頭に立つことが、だ

 

でも私には無理。(体力、精神力、気力)

 

そこは、もう、行ける時は行こうということで、それ以上は拘泥しない。

 

じゃあ、どうする?

 

じゃあ、これをする。という、これぞという物は、思いつかぬ。

 

しかし、私は、私の生活の中で割ける分だけになるけれども、

それでも、私に出来ることをパレスチナ支持、パレスチナ支援のために、する。

するし、それを続ける。これから先、長い間をだ。

 

 

ところで話が少し変わりますが、

パレスチナの人が生きるとは、

もちろん、基本的な面が最も大事ですよね。

 

基本的な面……、

安全(殺されない、暴力を振るわれない)、住むところ、清潔な水、

食べ物が安定して手に入る、眠る場所、睡眠をとれる、

トイレ、お風呂、プライバシー、etc.

あ、もちろん、家族と一緒に安全に過ごせることだ、穏やかに、幸せに。

 

 

ただ、生きるって、それだけではないですよね。

 

私は思うんです。

パレスチナの人々は、どんなにか、

勉強したり、学問したり、研究したり、ビジネスを営んだり、

勤労したり、現場で働いたり、スポーツに打ち込んだり、

読書に没頭したり、クリエイティブなことをしたり、趣味を深めて楽しんだり、

したいだろう。

静かで安全で落ち着いた場所で、どんなにか、勉強を、学問を、ビジネスを、勤労を、趣味を、文化活動、クリエイティブな活動を、あるいは集中してスポーツを、したいだろう?

 

それを全部イスラエルが、そしてアメリカ、西側諸国、それから、それら全部の足の裏を舐めてる日本が、奪ったわけです、奪い続けてきてる。

 

何が言いたいかというと

緊急支援のことが最も肝要、プライオリティが最も高いですよね。

 

が、それ以外にも、パレスチナの人々から、

能力を生かして十全に生きること、勉強に注力すること、勤労・労働・ビジネスに励むこと、趣味やスポーツに集中し、深めて楽しむこと、

そういうこと全てを奪ったんだという意識も、脇にのけておいては、ならない、私は。

そう思う次第です。

 

あと、そう、日本人は加害側に立ってるんだってことも、念頭にとどめておかないといけない、私は。

 

 

 

 

この一週間、正直パレスチナの状況の情報から離れていた

 

 

この一週間、正直パレスチナの状況の情報から離れていた

 

 

アルジャジーラやパルストゥデイでパレスチナや、パレスチナでのイスラエルの虐殺 に関連した中東各国の動き、について しっかり見ることだけはしようと思っていたのに、

(それらは一日のうちで1時間も時間を取らないのに)、

気力がなくて……。

 

 

今、Xの私のアカウントのホームを見てみるといい。

単に、私が興奮、動揺していた期間(10月上旬~11月中旬)だけは

ツイートしたり、拡散したり、なんやかや やっていて、

その後、ぱったりと何もやらなくなってしまった人間のアカウントにしか見えないだろう。

 

パレスチナの人々は

「私たちを忘れないで」と言っています。

(私が補うと、)

パレスチナの人々は、「私を忘れないで」と言っています、

そう、仮に、「状況が一時的に沈静したように見えても」、

「仮にイスラエルによる虐殺、非道、裁判もない殺人や逮捕、爆撃、銃撃、インフラ破壊、暴力、家屋略奪、がいったん鎮静したように見えても」、

「世界の目、世界の関心がパレスチナ難民の方々から他へと移っていっても」、

「一過性として関わってくれていた多くの人が引いていっても」、

それでも「私たちを忘れないで」と言っています。

 

私は、申し訳ない、この一週間、休んだ。

Al JazeeraもParsTodayもニュースを追わなかった。

 

私は、生活の中でのパレスチナの人のために何か出来るかを考えることを、休んだ、一週間ほど。(体調があまりに悪かったのと、あとは……、分からない。)

 

申し訳ない。

 

けれど、私は、やめません。

パレスチナ支持、イスラエル非難、パレスチナ支援、をやめない。

イスラエルのやった虐殺行為、戦争犯罪、人道犯罪は、私は厳密には手元に記録してないが、でも、基本、覚えています、いや、この数十年のイスラエルの非道、人道犯罪、虐殺を、覚えています。

また、世界中が、それらを、覚えています。

 

 

一番はデモです、街頭のデモ。

ただ私はこれは諦めた。

無理、体力的、体質的に。

 

(もし元気なときがあれば、考える)

 

 

次に大事なのは、きちんと情報を知ること、Al Jazeeraを始めとする情報源から、きちんと情報を得る。

 

あとは、デイリーの情報のみではなく、書籍を読んで、勉強するのが、尚可。

 

次に大事なのが、ドネーションです。

私、これまでも数年間、UNRWAに一定額をdonation(寄付)はしてきました。

 

今回のことで、その毎月の寄付額のギアを上げました(しっかりした額に上げた)

これは、毎月の定期的なドネーションです。

 

それと別に、やれる範囲では、ワンタイムのドネーションUNRWAに行っていきます。

 

ともかくMonthlyのドネ額が割としっかりしているので、まず、そこがベース、あとは、やれるときやれるときで、カンパ(UNRWA)。

 

これは、家計が苦しかろうが、続けていきます。

 

UNRWAスタッフさんから来る、優しく、感謝の言葉をくれ、暖かく逆にこちらを力づけてくれるようなメール。私自身も連帯の一つになれているのだと感じさせてくれる、力をくれるメール群。いつも大事に読んでますが。

そのメールを書いておられるUNRWAスタッフさん自体、今どこにいるのだろう、どうしているのだろう、どんなに苦しい精神的苦痛や悲しみ、または生命や身体の危険と恐怖の状況にいることだろう。

UNRWAスタッフは10/7以降に100人以上が、イスラエルの攻撃の的にされ死亡している。国連スタッフが、というよりも、国連UNRWAスタッフが狙われ殺されていると言っていい状況です。もちろんUNRWA建物も深刻なダメージ。もちろん、UNRWAや国連スタッフ以外の、パレスチナの非戦闘員のかたがたは10000人以上がイスラエルに殺害されているし、その数倍が、今後の人生を左右するレベルの重傷を負わされている。)

 

こんな中で、いつもメールをくれるその女性スタッフさんは、生きていてくれている。

つらい中でも、読み手に感謝を伝えると共に読み手を奮い立たすメールを、くれる。

(もちろん同時送信メールですが。)

 

彼女のメールを読み、また彼女の他にもメールをくれるUNRWAスタッフの方の、メールも読み、他、様々な今までのレターから分かる、これまでのUNRWAが示してきた活動、姿勢を私は、リスペクトしてます。

(むろんサイトでも分かりやすく活動、募金の使用途、どんな風に現地のパレスチナの人を支援しているか、は分かりやすく説明されてます。)

 

で、なんというか、その上で、(そして今回の惨劇の経験を経て、一層です、)

私は、国連UNRWAを一層尊敬するし、UNRWAに、できる限りで、応えたい。

やれる限りで、UNRWAをサポートしたい。

 

今月パンクなので今月はもう打ち止めさせていただくのですが。

(来月になったら、また、ドネーション(寄付)しますが。)

 

ともかく私は、パレスチナ支持・パレスチナ支援、(+イスラエル非難)を「やめません」。

他の多くの日本人のかた、世界中のかたが、そうであるのと同様に、

私は飽きない、やめない。

というより十数年も、この問題は私にとって重要な問題であったので、今更飽きはせぬし。

 

私はやめない。私はstickする。しつこく粘りつく。パレスチナの苦難の問題にだ。

 

それは、おそらく、この先、何年もだ。

 

 

 

「見るのがつらく」なったら映像、画像、情報を見ないですむ人と

 

 

「見るのがつらく」なったら映像、画像、情報を見ないですむ人と、

 

 

執拗に繰り返される、イスラエル軍からの爆撃、攻撃に

朝も昼も夜も、学校や国連施設や病院や救急車内や<人道回廊>ですら、

晒され続けていて、

飲む水にも渇き、食べるものにも飢えている人、

 

 

との…、

 

非対称性が、すさまじい。

 

 

 

私は「見るのがつらい」といったフレーズを公言することは好まない……、嫌いだと言ってもいい。

 

でも、ガザの映像、画像、情報を、見ていられなくてブラウザのタブを閉じることは、する。

 

つまり、非対称性の、一方の側にいるのは、私だ。……

 

 

ブラウザのタブを切り換えたり、閉じたりするだけで、ガザで起きていることから離れることができるのは、私だ。……

 

 

この、ものすごい非対称性。……

 

 

 

 

 

イスラエルを擁護する、アメリカと、西側諸国は

 

イスラエルを擁護する、アメリカと、西側諸国は、

 

狂ってる。

 

日本政府も狂ってる。

 

病院が爆撃され(それも病院の建屋だけではない、そのエリア一帯が、だ)、

 

医療機器を体につなげたままの子供なども居るのに、

 

職員や、そんな子供を含めた患者たちは、白旗を振って脱出しようとした。

 

そうしたら、そこをも爆撃され、逃げまどい、病院内に戻ったそうだ。

ツイッターで情報を見た。ソースは今は覚えてない。)

 

そのことの上で、さらに、病院への爆撃が続いてる。

 

多分、今も、爆撃が行われているのではないか?

 

アル・シファ病院。

 

 

 

 

私はこんな中、

 

快適に暮らし、寝たいだけ眠り、じゅうぶん食べ、水や、その他の飲料を飲み、シャワーも使う。

 

そのことがどうとかではない。

 

 

けれど、やっぱり、

 

西側は狂ってるし、日本は狂ってるし、私も狂ってる。

 

しかも恥ずかしい意味での狂い方だ。

 

 

私は、イスラエルを擁護する日本国に居て、のうのうとしている、私自身が、恥ずかしい。

 

I'm ashamed of myself.

 

 

 

なんかもう

 

 

パレスチナ情勢において、

 

私は、

 

パレスチナの人々、彼らの置かれた非人道的状況について怒りの声をあげている世界中の人々、

 

に対する、リスペクト、尊敬、共感、連帯、哀惜、ともかく、そういう感情があります。

 

けれども、

 

「ともすると」、

 

パレスチナの人々が殺されることを喜んでいる奴ら、

 

パレスチナの人々が虐殺され、あるいは、家族をむごたらしく奪われ、重度の火傷を負わされ、手足を吹き飛ばされ、医療をしてくれる人も医療の機会をも奪われ、水に飢え渇き、食べ物もなく、そうやって毎日くるしめられていることを、手を叩いて喜んでいる奴らへの、

 

憎悪、

 

が、一番、強くなりがちです……、私の中で……。

 

 

だから、今はツイッターを控え目にしておこうとも思ってます。

 

何でもかんでも書きそうなので。……

 

 

 

しかしです、上の「だから」とは何ですかね?

 

「憎悪だから、憎悪であるゆえに、ツイッターでの発信は忌むべきだ」と、するりと安易に絶対的に言えるのだろうか、そう言い切っていいのだろうか、一体?

 

そこは、議論の余地が有るところではありますよね。

 

しかし、憎悪を発信するにあたっては、発信する者(つまり私自身)が、それに耐えるだけの、背骨の強さみたいなものを持ってないといけないであろう……、少なくとも。

 

今の私は、感情に動かされているだけであり、そうした強さまでは持ってないんです。

(私は憎しみを持ちやすいが、同時に、単純に気弱であることも含めて、弱い人間なのです。そこは私は自覚していないといけないのだ。)

 

だから、と言いますか、

繰り返しとなってしまいますが、

私は今はツイッターを控え目にしておこうと思う。……